元校長「講演問題」の議論を

 鹿児島県の教員研修会(昨年8月)での草加市の元校長の「講演」を、「解同」埼玉県連は「差別講演」とし、県と市町村教育員会に「元校長の講演」についての見解を示すよう求めました。これに県・市町村教委は、「部落差別を助長する」「偏見を植え付ける」「当事者の話を聞く、差別の現実に学ぶ研修が必要」等々、「解同」に迎合する判を押したような見解を述べています。

 一元校長が他県でおこなった勝手な「講演」について、関係のない教育委員会が見解を述べる必要などないはずなのに、まるで自らも責任があるかのように回答している状況は異常です。

 元校長の「講演」、およびこれへの教育委員会の対応について、率直な議論をしましょう。(管理人)

※※ ※※   資料「元校長講演問題」 ※※ ※※

◆草加市の元校長「講演問題」(「解放新聞」埼玉版・08年10月1日号より)

 鹿児島県龍郷町(たつごうちょう・奄美大島北部の町)の教育委員会が主催した教育研究会が08年8月1日に開かれ、「『教えて考えさせる授業』の理論と実践」と題して埼玉県のK元小学校校長が講演した。
 K講師はビデオを使いながら、国語や理科などの授業の実践方法を解説し、社会科の指導事例として小学6年生の身分制度の授業方法を紹介した。

 この中でK講師は、子どもたちが身分制度をなかなか理解できないので、士農工商のどれか一つを生徒に選ばせ、武士や町人ばかりで百姓がいなければ社会が成り立たないことを考えさせる方法を紹介した。K講師は参加した教員に向かって、「皆さんだったら士農工商を勉強した後で、自由に身分を選びなさいと言ったら、なに選びます。士を選びますか、農を選びますか。工商を選びますか。あるいは誤解を恐れずに言えば、『えた・ひにん』になりますか。なに選びますか」と問いかけ、なりたい身分を挙手して選ばせた。その際「まさかと思いますが、『えた・ひにん』というか、いないですよね」と発言し、「現実に、どのクラスでもこうなるんです」と続けた。
 講演会の終了後、参加していた複数の教員が主催者に対し「いまの発言は差別発言ではないか」と指摘した。
 K講師の発言は「『えた・ひにん』は、誰もなりたくない人たち」ということが前提になっており、これがそのまま授業で実践された場合、子どもたちのなかには、(同和地区の人=誰もなりたくない人たち)という印象が植え付けられることになる。身分制度の学習の結果、「同和地区の人は、誰もなりたくない人たち」という理解や印象が残るとすれば偏見を植え付けるようなものだ。
 解放同盟は、かつて嵐山町の4コマ漫画事件の教訓から、地区の先祖は生産的な産業に従事し、社会に貢献してきた人たちという新しい同和教育の概念を提起し、そのために教材を作成してきたが、その教訓が全く無視されている。
 K講師は、08年3月まで草加市内の校長を務め、退職したあと新人教員を指導する新任者指導教諭として再任用され、週3日勤務している。現職の時代から小学生に学力を付けるための新しい指導方法として、予習を重要視する「先行教育」を提唱し、何冊か本を出版しており、昨年、NHK教育テレビに出演したことから各地で授業実践や講演をおこなっている。

鹿児島で「確認会」「糾弾会」

 *この問題で「解同」は9月に、鹿児島県連主催で龍郷町中央公民館で「確認学習会」(埼玉県連委員長も参加、龍郷町長、教育長、教育委員長と教育委員、県人権同和教育課長、人権同和対策課長、奄美教育事務所長、鹿児島県人権・同和教育研究協議会や同和問題に取り組む鹿児島県宗教者連絡会議などの代表も参加)をおこないました。(以下「解放新聞」埼玉版・08年10月1日号・09年2月1日号より)
 「確認学習会」で龍郷町教育長は、「現在の同和教育では、小学6年の段階では、えた・ひにんという賎称語をそのまま使用しない。子どもたちはどう受け止めるか。授業が終わった段階で差別への怒りが育まれるか。結果的に、部落差別を助長する発言だと思う」と述べ、「差別に対する学びがなければ、人権感覚は身に付かない」と見解を表明。
 K講師は発言の事実を認め、「同和教育の認識が甘かった。自分の内側に差別意識があった。差別意識を克服していきたい」と謝罪した。
 県人権同和教育課長は「同和教育は人が共に生きる生き方を学ぶ教育である。受験用の教育ではない」と述べた。

 *さらに、12月24日には同会場で「糾弾学習会」を開催(「解同」鹿児島県連委員長ほか幹部と九州ブロック事務局長、埼玉県連委員長や埼玉県人権教育研究協議会代表など4人、龍郷町長、教育長など関係職員と8月の講演会に参加した70人の教員が出席、鹿児島県から人権同和教育課長や人権同和対策課長などが出席)。
 「糾弾学習会」で、9月の「確認会」以降「何を学んだか」の質問に、元校長は、「現役時代は、何が問題なのか、研修を受けても実感として差別は正直わからなかった」と述べた上で、「今回学び直してみて、改めて部落差別は根が深い、深刻な問題だと感じた」と述べ、(「確認学習会」の後)「関西の同和地区の子ども会や、屠(と)場を訪問して差別の現実や解放運動の取り組みなどを学んだ」と述べた。
 K元校長は「今回の発言が、私の同和問題に対する認識の浅さと心の奥底に潜んでいた差別意識から出たもの」と謝罪、「これまでの経験を生かして人権同和教育に取り組んでいきたい」と決意を述べた。また、教育長は「人権同和教育はすべての教育の基本」とし「本町の人権同和教育を再構築する」と決意を述べた。 

“元校長「講演問題」の議論を” への2件の返信

  1.  元校長の講演のもとになった本が市販されていると聞いたので、買ってみようと思いますが、「事件」になるというのはどういうことでしょうか。
     問題になったのは、元校長の「まさかと思いますが、『えた・ひにん』というか、いないですよね」の発言、そして、「現実に、どのクラスでもこうなるんです」と言って実際の授業で行なわれていた内容を暗示したこと、ということのようですが、「解放新聞」の記事だけでは何がどう問題なのか、よくわかりません。
    生徒に身分制度を理解させるのに「なりたい身分を選ばせる」というやり方が妥当な方法とは思いませんが、小学6年の生徒が選べるようにするためにはそれぞれの身分について一定の説明をしなければ選べないはずで、どのように説明していたのか。発達段階からその理解は無理で小学校では「えた・ひにん」などと教えない、ということになりますが、元校長はどの程度に、どのように説明していたのか。「まさかと思いますが、『えた・ひにん』、いないですよね」「どのクラスでもこうなる」という言い方から、およそ想像はつきますが。
     しかし、だからと言って、現在の小学6年の生徒が「江戸時代のえた・ひにん」=「同和地区(最近までの呼称、現在は必要ない呼称)の人」と理解するというのもおかしな話で、もしそのように生徒が理解するような「身分制度の授業」こそが問題なのではないのか。「『えた・ひにん』=同和地区の人=誰もなりたくない人たち」という偏見を植えつける」と言う批判は、実は元校長と本質的にはあまり違わない「身分制度の授業」と言うべきではないのか。
     また、「えた・ひにん」がどのような立場に置かれていたかをおよそ理解している教員(大人)が、「身分を選ぶ」がナンセンスではあるが強いて選ぶとすれば、「まさか(選ぶ人は)いないですよね」となって当然(そんなものになりたくないのは当然)で、だからこそ、近代以降自由と平等の社会をつくる努力がされてきたのではないのか。
     「地区の先祖は生産的な産業に従事し、社会に貢献してきた人たちという新しい同和教育の概念」とかは、元校長と本質的には違わずその裏返しとなる「身分制度の授業」にならざるをえない、というのが「教訓」だったのでは。 (日暮 聡)

  2. 4月1日の日暮さんのコメントも、何を言っておられるのか、言わんとされているのか、よく分かりません。とにかく、小学校の「社会科・歴史」の教科書を見たいものです。

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